14 超えて臨む景色
中学生になった河本秀人は、迷うことなくバスケットボール部へと入部を決めた。テレ
ビで流れていたプロバスケットの試合を見て、活躍する選手と自分とを置き換えても、ド
リブルをしてリングにシュートを決める姿を容易に想像できたからである。まったくとい
って良いほど経験はなかったが、それでもやれるという秘めた自信と体力はあった。
入部して練習が始まっての、まもなくは部活動独特の雰囲気に気圧されしてはいたが、
それを楽しいとも思えるものだった。その場でボールとドリブルするという基礎の練習を
黙々とこなすことは性にあっていたのである。反面の大声を出すということの重要性が見
出せず、そこは受身であった。
事は起きた。
5月の終わりであった。その日の練習は外のグランドで行われていた。顧問の男性教諭
が姿を見せ、ウォーミングアップのダッシュをする生徒たちを眺めていた。
「おい、河本、真剣に走るんだよ」
五、六人ずつがおよそ三十メートルの距離を走るものである。河本は走り終えた途端に
怒鳴られたのである。理解できなかった。
「タイムの一番良い奴がなんでトップで帰ってこないんだよ。チンタラやってんのかお前」
その顧問の教師はそう続けた。
体育の時間に計測したスポーツテストの記録は部活の顧問の先生も目を通す。そこでの
記録がずば抜けていた河本は、その教諭の目に留まったため名前を覚えられていたのであ
る。それが、いきなりの注意を受ける事になってしまったのである。
河本からしてみれば、手を抜いたつもりはなく、ウォーミングアップの目的ためのダッ
シュであると認識していたからこその走りなのだが、それでもまさか、怒鳴られるとは思
いもしなかった。
こんな些細な出来事でひとつで、傷つきやすい一番デリケートな年頃は狂いだしてしま
うのである。
その日から、河本は何をしていても本気でやっていない、手を抜いている、のレッテル
を周りから貼られてしまうようになったのである。他の生徒の倍の大声を出さなければ、
声が小さいと先輩から叱られる。練習が厳しければお前がやる気がないのが原因だと、同
級生から言われたりもする。無論、顧問の教師や先輩が河本に目をかけるのはそのポテン
シャルに期待してのものである。だからこそ、それを感じ取る同級生は嫉妬するから、河
本に辛く当たるのである。
結局、居心地が悪いだけでしかなくなった河本は夏休みの前には退部してしまった。
退部はしたが、それでも、バスケに対する情熱は燃えていた。部活の中で機能しなかっ
た自分を、挫折という扱いにだけはしたくなかった。
その想いが自転車で二十分かかるバスケットコートのある公園にと、河本を朝夕と通わ
せたのである。そこで河本は一人淡々とドリブルからのジャンプシュートの練習を繰り返
した。夏休みに入ってもそれを続けた。その一時期、河本は相当にバスケットにだけに集
中していたのである。NBAの試合がお手本だった。好きな選手のプレイを見つめ、目に
焼き付け、それをイメージしながらドリブルしシュートを放つのである。
コートは一人のものではないから、河本以外の人間も来る。そういった人たちに声をか
けられ、ワンオンワンで競い合ったりもした。バスケットの経験者の高校生、大学生。相
手は自分よりも大きい。最初は見下ろされ何もできなかったが、抜群の身体能力が次第に
対応しだし、ドリブルは鋭く切れるようになり、シュートも決めた。幾度となく繰り返さ
れるに伴い、それは確実さを増し、自分のものなった。
親しくなった大学生たちと、市で行われたスリーオンスリーの大会にも出場したりもし、
時に上位入賞を果たした。
中学も三年生になった時に、河本はバスケットクラブに入った。部活とは違い週に一度
ある授業の中で行われる科目のことである。
そのクラブで河本は同級生のバスケット部員たちに一歩も引けを取らなかった。むしろ
一番キレのあるドリブルと正確なシュートを放っていたともいえる。初めは河本をストリ
ートレベルと嘲ていたが、週に一度のその授業の間、誰も河本を止めることはできなかっ
た。
バスケットクラブの顧問はいつか河本を怒鳴ったバスケット部の顧問と同一人物であっ
た。
三学期も終わりに近づいたクラブの最中。オフェンス時、ボールを持った河本の前にそ
の教諭は立ちふさがった。一瞬目が合った瞬間、その教諭から見て河本が左に動いた、と
それに反応した教諭もその方向に動いたが、それはクロスオーバーというボールを足の間
を通すフェイントであり、続けざまに河本はジャンプシュートを放った。男性教諭は左に
重心が寄ったまま、それを防ごうとジャンプをしたが、一瞬遅く、河本のシュートはリン
グネットを揺らした。
無理な体勢からジャンプをし倒れこんだ教諭を、事無げなくシュートを決めた河本は一
瞬見下ろすと、また動き出したボールを追うために、教諭のそばを離れて行った。
男性教諭は立ち上がり、ディフェンスをする河本を見つめた。いつか怒鳴り、その後部
を辞めてしまった生徒だと、とっくに気づいていた。身体能力が抜群であったその生徒は、
形は歪ではあるが、バスケットを続けていたのだ。高校に入ったらその才能をまっすぐに
生かせる環境に出会ってほしい、と願った。それは微かに、自分の何気ない一言で彼の才
能を殺してしまう形になってしまった事への償いの気持ちでもあった。
そんな一時の気分から湧き上がった教諭の願いは河本にと届く事はなく、高校へ入学し
た河本がバスケットボール部へ入部する事もなかった。
今、河本秀人は、バスケットへの確かな未練も後悔もなく、真倫高校で生徒会で活動し
ている。