16 春


 入学式の朝。
 真倫高校まで、角を右に曲がればあとは直線だけの道を走らせれば良い交差点で平井紀
子の運転する車は信号待ちをしていた。教師になって二年目での春なのである。その道は
通い慣れ親しんだとはいえ、教師という職業にはもちろんまだ染まりきってはいない、と
思うのはそれは職場の年配の怠惰な教師をみては、ああはなりたくない。というのもある。
長年やっていれば培われた経験で済ませられることもあろう。それが時として慢心さを生
んでしまう事も仕方のないこととはいえ、目の前でそれをみせられると二十三歳としては
私はいつまでも新鮮な気持ちを失いたくないと思うのは当然の事であろう。むろんそんな
事意識せずともまだまだ教師という職業には未熟というのを自分でも覚えている。
 信号が青に変れば、車を走らせる。
 生徒にとって良い先生でありたいのか、嫌な先生でありたいのか、などふっと過ぎった
りもするが、学校近く、桜の花びらが舞いに目を奪われれば、ただそれを綺麗だとも思う
女なのでもある。
 要は時々、この車での通勤時間にわざわざ現状について自問自答する時間があるのも悪
くはないと思うのが平井なのだ。
 桜に見とれていたのは早めに登校し、正門前を掃除する河本秀人も同じであった。
「そのホウキしまう?」
 作業を一緒に担当していた里崎綾が問いかける。
「はい?」
 綾の言葉を理解する前に返事をした。
「それとももう少し、桜見てる?」
「あ、いえ、戻りましょう」
 舞う桜をきれいと先に行ったのは綾の方からであった。言うまでもなく真倫高校までの
直線の桜並木は見事である。わざわざ声に出して綾が言うので、河本も改めて眺めていた
ら、それを制するかのような綾の発言に、河本は綾にからかわれていたようにも感じた。
同じ生徒会で何かと同じ作業をすることが多いとはいえ、綾はひとつ先輩である。河本は
綾に対して敬いの姿勢を崩すことはなかった。いつまでもそんな態度でいる河本に綾はと
きどきその壁を壊そうと試みてみるのである。が、それは少しずつ、軽いものであるから、
河本はまだ気づかない振りをしてれば良いのである。
 平井の車が正門をくぐる。
 河本と綾の存在に気づき、車を停止させた。
「おはようございます」
「おはようございます」
 車の運転席のウインドウが開ききる前に挨拶をする河本につられて綾も挨拶をする。
「おはよう」
 挨拶を返し、二人に何かを言おうとしたが、瞬間的に自分の空間から抜け切れないまま
の平井は言葉が見つからなかった。そんな自分を見てなのか河本が少し微笑んだようにも
平井には見えた。さらに河本は軽く会釈を加えた。
 それは河本が自分に心を開いてくれたたようにも思え、平井も軽く微笑みを返してから
駐車場へと車を走らせた。
 体育館には、竹清慶治と高橋みゆきがいた。
 整然と並ぶイスを眺めながら、竹清は壇上に立っていった。
 一番前の席にみゆきが座っている。
「こっから見るともうなんかすっかり貫禄充分だよ」
「そう?一年生に引かれないよう少しオーラを減らそうか」
「隠し切れないでしょ」
 この時点で竹清にとって生徒会長というものは、まったくの負荷ではなくなっていた。
その肩書きを楽しんでいた。
 扉が開き、校内を軽く見回っていた堀洋介と立川亜季と武藤繭果と外を掃除していた河
本と綾が体育館に揃い、生徒会のメンバーは揃った。
「ご苦労様」
 竹清は労いの言葉をかけた。
 その後には、演奏をする吹奏楽部なども入ってきて、体育館はにぎやかになった。
「河本君、午後は皆でスパダーでカフェモカチーノでも飲もう」
 幕裏で待っている間に竹清は河本に話しかける。
「はい」
 即答をする河本に竹清はうん、と頷いた。
 新入生も入場し、入学の式は始まり竹清は挨拶をする。
「ここ、真倫高校において、青春を謳歌しようとする情熱を遮るものはなにもない。不都
合があれば、私にいつでも言ってほしい。生徒会長は協力を惜しまない」
 新入生一同は竹清慶治という美形の生徒会長に釘付けとなった。その竹清の心意気は浸
透した。